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(サンプル)

 

 

 暦の上ではとっくに春でも、こんなのは到底春とは呼べない。マフラーをしてくればよかった、と今更後悔しても、時すでに遅し。白を基調とした爽やかな色合いのブレザーは、それを着て鏡の前に立ってみたら、あまりの似合わなさに吹き出しそうになった。こんな制服が似合う男は早々いないだろう。今朝、白いブレザーの制服と中学から愛用していたマフラーを合わせてみたが、あまりのミスマッチに思わずため息が出た。誰だよこんな制服考えた奴は。高校生活一日目からこんなにダサい格好ではいけない、と思わずマフラーを置いて来てしまったが、こう寒いとその選択が正しかったのかわからなくなる。

 クラス毎に連れだって体育館へ向かう吹き抜けの廊下で、また一つ冷たい風が吹いて、花巻の剥きだしの首筋と耳を撫でた。思わず小さな声で「さみぃ」と呟いて体を縮こませた花巻の背後で、クスクスと女の笑う声がして振り返る。見知った顔に、花巻も笑顔になる。

「あー、何笑ってんのぉー。人が寒がってんのに」

「花巻髪短いから頭寒そー」

 そう言って笑う彼女も、襟足が申し訳程度に首筋を覆っているだけだった。同じ中学出身で、女子バレー部に所属していた彼女とは、何度か同じクラスになったこともあり親しくしていた。

「超失礼だよね。俺の気合い入ったおしゃれヘアーに」

「はいはいごめんごめん。てかさ、花巻あんた何組なの? 四組?」

 入学式の行われている体育館を前に、新入生の入場の合図を待っている花巻たち新入生の一団は、一組から順番に、かつクラス毎に名前の順に並んでいた。時間が経つにつれてその列はゆるやかに崩れていってはいるが、それでもまだ花巻のクラスの四組の後ろには、五組が並んでいる。それくらいの形はまだ保っていた。

「そうそう、四組。同中のやつあんまいないわ」

「そうなんだ。五組は結構いるよー。てかさ、あんたのクラスにめっちゃイケメンで背高い子いるよね? 女子が噂してたんだけど、知ってる?」

「へー。俺じゃなくて?」

「黙って」

 軽口を叩いて笑いながらも、近くに並んでいる人を見回してみる。背が高くてイケメンなら、どこにいても目立つだろうが、生憎近くにはいないらしい。本当にそんなイケメンがいるならばの話だが、イケメンがいるだのハーフが来ただのという噂は当てにならない。

「なんか、北一のバレー部の子らしいよ」

「北一っつったら強豪じゃん」

 記憶の中で、北川第一中学のバレー部員を思い出そうとしてみるが、各々の顔まではさすがに覚えていない。北川第一中学のバレー部のことは公式戦で何度か見かけたことがあるが、直接試合をしたことはなかった。どうだったっけなぁ、と記憶を反芻していると、体育館の入り口のドアが開いたのか、拍手と入場音、そして小さな話し声が混ざったざわめきが漏れ出した。待ちぼうけを食らって退屈し始めていた新入生たちも、入場を控えてにわかに色めき立ち始める。

『新入生の入場です』

 マイクを通したくぐもった声と共に、最前列の一組が入場し始めた。すぐに花巻たち四組の入場の番が来て、割れるような拍手の中、シートの敷かれた体育館に一歩を踏み出した。中に入ると同時に、そっと体育館全体を見回す。学校見学会の時にも見たが、やはり強豪バレー部のある青葉城西の体育館は、中学のそれよりずっと広かった。自然と胸が高鳴って、口元が綻ぶ。花巻貴大の胸は、これから始まる高校生活への期待でいっぱいになっていた。

 

(中略)

 

「はーなまーきくん」

 間延びした声がして、花巻の隣の席に気の抜けた笑みを浮かべた男が座った。

「おー、及川徹クン」

「及川でいいよー。俺もマッキーって呼ぶから」

 そう言って頬を緩めて笑う及川の顔は、イケメンだと思ったあの時の印象よりもずっと幼く見えて親近感が湧いた。

「なにそれ」

 第一声がそれかよ、と思わず笑ってしまう。自慢ではないが、花巻は感がいいほうだ。なんとなく第一印象で、こいつはダメ、とかこいつはイイ、とか。そういうのはうまく言葉にできないけれど、でも初めにそう思ったら、やっぱり後からそうだった、とわかるのだ。だから花巻がおもしろそうな奴だと思ったら、だいたいそいつはおもしろくて、一緒にいると毎日が楽しくなる。

「花巻でしょ? だからマッキー」

 初対面の男にすぐにあだ名を付けて笑っている及川は、マイペースというかなんというか、とりあえず女子が騒いでいるようなイケメンとはどうやら違うらしい。

「へー」

「やなの?」

「なんでもいいけど。及川、今日部活見学行く?」

「うん、行くよー。マッキーも一緒にいこ」

 まだ花巻がうんともすんとも言わない内から、及川は勝手に一緒に行くと決めつけて、話し続けた。あのね、俺の友達に岩ちゃんっていて、そいつも今日部活見学行くよ! 北一バレー部から青城行く人多くて、俺の中学の先輩がいるんだけど、その人にバレー部のこと聞いたら、と及川の口はよく動いた。にこにこ楽しそうにバレーの話をする姿に、バレーが好きだという気持ちが花巻にも十分伝わって、そういうところに好感が持てた。女子の視線を独り占めして、でもそんなことよりバレーの話を俺としたがるなんて、こいつ本当に変わってるなぁ、と頬杖を付いて適当な相槌を打ちながら思う。その間もずっとちらちらと女子からの視線が及川と、そして及川と話す花巻にも注がれていて、ああこれは結構いいかもしれない、と花巻は内心及川に感謝した。

 

 

 

 青葉城西バレー部のユニフォームは、制服と同じで白を基調にした透き通るような青がアクセントになっていて、爽やかな色合いが眩しいほどだ。あれ絶対似合うやつ少ないだろ、とユニフォームを着ている先輩たちの姿を見回しながら考える。なんかギャグみたい、と自分がユニフォームを着ている姿を思い浮かべて、それから隣に立っている及川を見て、うわ、ムカつく、と思わず呟いた。こいつなら似合いそう。

「なに、どしたのマッキー」

 こそこそと小さな声で俺に話しかける及川は、高校一年生にしては背が高く、一七〇センチ後半の身長は入部希望の一年生が並ぶと、その容姿も相俟って特に目立っていた。

「うるせ。お前目立つんだから話しかけんな。怒られるだろ」

「えー、なんでさ!」

 唇を尖らせた及川が少し声を大きくしたので、だから静かにしろって言ってるのにこいつは、と花巻が声を上げる前に、及川の反対隣りの男が先に声を上げた。

「及川うるせぇ」

 いたっ、という及川の小さな声と抑えている手からして、どうやらわき腹を小突かれたらしい。身を乗り出して及川の隣を見ると、短い黒髪に釣り上がった意思の強そうな目、室内競技をするにしては色黒の肌が印象的な男と目が合った。そんなつもりはないのだろうが、怒られているような気がして思わず体を引っ込める。及川と同じくらいの身長のそいつは、端から順番に自己紹介して、という主将の言葉に、「ハイ!」と元気よく答えた。

「岩泉一、北川第一中出身です! ポジションはウイングスパイカーです! よろしくお願いしアス!」

 そう言えば、さっき教室で及川が岩ちゃんがどうたら、と喋っていたが、どうやらこの岩泉一という奴がその“岩ちゃん”らしい。ポジションはウイングスパイカー。花巻の希望するポジションと同じだった。身長は及川と同じくらいに見えるので、花巻の方が少し低いだろうか。ポジションが同じということは、最も身近なライバルということになる。

「次、隣の」

 主将に促されて、及川が元気よく返事をする。

「及川徹、同じく北一出身です! ポジションはセッターです! おねがいしアス!」

 自分と話す時よりずっと気を張ったような声と態度で及川が挨拶したので、その空気につられて花巻も自然と緊張してくる。なんとなく、及川は先輩の前でものらりくらりとした態度でへらへらと気の抜けた笑みを浮かべているのだろうと思っていたのだ。でも、普通に考えてこいつだって体育会系の世界で生きて来たのだから、こういう時にとるべき態度は心得ているのだろう。

「次」

 ハイ! と元気よく返事をして、花巻も前に倣った自己紹介をした。同じく主将が次を促して、同じような自己紹介が続く。

「緊張したね~、マッキー」

 岩泉に同じ言葉をかけて、静かにしてろ、と怒られた及川が次は反対隣りの花巻に声尾をかける。花巻が答えるより早く「いてっ」という声と岩泉の「静かにしてろって言ったべや!」という小さめの怒鳴り声が聞こえて、先輩たちの視線が一瞬だけそちらへ向かって、すぐに元に戻った。岩泉は声を抑えているつもりなのだろうが、静かにしろと怒鳴る岩泉の声が一番うるさいという状況に、花巻は笑いそうになって俯いて堪える。たぶん岩泉は、ひそひそ話が出来ないタイプの人間なのだろう。小学校の頃にもいたなぁ、そういう奴、と引っ越して遠くへ行ってしまった友人を思い出す。そういう奴って、悪い奴ではないんだよな、と勝手に過去の友人と岩泉を重ねて、花巻は親近感を覚えた。

 岩泉と及川の漫才みたいな掛け合いで笑うと、少し緊張がほぐれた気がした。花巻は身を乗り出して列に並ぶ同級生たちの姿を窺う。花巻より背の低い者もいれば、及川と同じくらいの高さの者もいた。その中でも一際飛び抜けて背の高い男に花巻の視線がいく。くしゃくしゃの黒髪と、少し尖った唇。眠そうな目つきが特徴的だった。

「松川一静。ポジションはミドルブロッカーです!」

 でけぇな、という先輩たちの声が聞こえた。でかい。それだけでバレーでは大きな戦力になる。花巻の目下の目標は、早く寝て、栄養を考えてたくさん食べることだった。成長ホルモンがどうたら、詳しくはわからないが、とにかく身長を伸ばしたければそのホルモンが出る時間帯に寝る必要があるらしかった。だからここ最近はずっと早く寝ている。あいつも十時くらいに寝てんのかな、と考えていたら、わき腹を小突かれて振り返る。

「ね、今の松川クン、めっちゃでかいね。俺も身長伸ばしたい」

「うるせぇ、おまえの成長ホルモンも俺のモンだ」

「ちょっとなにそれ横暴だよ!?」

「静かにしろ!」

 及川と花巻の小声よりもずっと大きな声で岩泉が注意したので、二人は慌てて前を向いた。

 

 

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