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  恋人関係が自然消滅するのは、それぞれの環境が離れてしまってそれきりになった中学生や高校生にありがちなことだと思っていた。岩泉と及川は、同 じ中学と高校で、バレー部も一緒で、およそ離れている時間のほうが少ないくらい四六時中一緒だったけれど、それなのになぜか、中学二年の頃、いつの間にか 二人の恋人関係は自然となくなっていた。一年に満たない短い時間だった。

  岩泉が及川との恋人関係がなくなったことに気付いたのは、二年の秋 頃だった。毎日一緒にいて、それでも気付いたら二人きりの時にキスしたり手を繋いだりすることがなくなっていた。岩泉もわざわざしたいとは思わなかった。 及川も同じ気持ちだったんだと思う。お互いのことを好きだと言葉にして確認したり、下手なりに探り探り唇を合わせたりしたことについては、もうお互い口に しなかった。及川から好きだから付き合ってほしいと言われて始まった関係だったが、何の言葉もなく気付けば終わっていた。お互いにとってあの期間がどんな 意味を持っていたのか、それを確認してしまうと、これから先も一緒にいることがしづらくなってしまうような気がして、岩泉はもやもやとした思考を繰り返し ては頭を振って迷いを払った。

 そうして友人として及川と過ごしている内に、及川には彼女が出来た。去年まで学校で一番きれいだと言われてい た卒業した先輩と、三年になった及川が付き合っているらしい、と同じクラスの友人に聞かされたのだった。お前、及川と仲良いのに聞いてねーの、と友人は 言って、岩泉が知らないならデマかもなぁ、と首を傾げた。岩泉はなんとなく、その噂が真実であるような気がした。

「なんか、先輩の卒業を期に付き合ったらしいよ。俺もこないだ聞いた。あの及川にとうとう彼女ねぇ」

「どれくらい持つかな」

「以外に長く続いたりして」

 花巻は絶対すぐ別れるよ、と言ったけれど、松川はそれを否定して賭けになった。岩泉は賭けに乗らなかった。及川の恋愛に関して、岩泉は一切予想が出来なかった。改めて考えると、バレー以外のことについて、岩泉には及川徹という人間はわからないことだらけだった。

 岩泉と及川が及川の彼女について何か話をする前に、及川は彼女と別れた。インターハイ予選が終わったあとのことだった。

「岩ちゃん俺ね」

 部活を終えた後自主練をするのはもう日課で、校門をくぐる八時過ぎにはお腹が空いてどうしようもなくなっていた。コンビニでからあげを買って、肉まんを買った及川と分け合って歩く帰り道、特に話すことも無くなった頃、及川が口を開いた。

「先輩と別れたんだ。知ってたでしょ、彼女いたのは」

「おう」

 今更どうしてそんな話を自分にするのかわからなくて、岩泉はただ相槌を打った。

「やっぱり、合わなかったみたい。難しいね。女の人って何考えてるのかわかんないや」

 俺にはお前の考えがさっぱりだよ、と岩泉は内心毒づいた。

 岩泉がそれ以上何も言わなかったから、及川もそれ以上元彼女の先輩とのことについて語らなかった。たぶん岩泉の反応は、及川の望むようなものではなかったらしい。及川はそのあと家に着いて別れるまでずっと、自分の靴の先を見ながら歩いていた。

  月曜日、部活の無い日は決まってどちらかの家に遊びに行く。それは付き合う前も、別れた後も、及川に彼女がいた期間も変わらなかった。だからいつどんな風 に及川が彼女と付き合っていたのか、岩泉は少しもわからなかった。いったいいつ及川は彼女とデートしたりメールしたり電話したりしていたんだろう。岩泉は 及川の部屋で寝転がって雑誌を読みながらふとそんなことを思う。どんな時も、及川の最も近くにいると自負していた。試合中も練習中も、少しの変化も見逃さ ない自信があった。でも、普段の及川徹について、自分は少しも理解していないのだ。岩泉は横目で及川を盗み見る。さっきまで岩泉の腹の上に座って構ってく れとうるさかった及川だったが、岩泉が雑誌を読み切るまで相手にしないことを察したのか、今はもう大人しくクッションを抱きかかえながらスマートフォンを いじっている。誰かと連絡を取っているのだろうか、それともネットをしているのだろうか。もしかしたらゲームかもしれない。

「及川、何してんだ」

 岩泉はそう言うと起き上がって、及川の返答を待たずに彼のスマートフォンをひょいと奪い取った。

「あ」

「国見? 仲良いのか?」

「後輩だし」

  岩泉が勝手に及川のスマートフォンを見ても、及川は少しも怒る素振りを見せなかった。むしろ構ってもらえて嬉しいのかにこにこ笑ってさえいる。変な奴だと 思う。岩泉なら、こんな風に了承も無く友人との私的な連絡を見られるのは嫌な気分になる。たとえやましいことがなかったとしても。

 画面に吹き出しが出て、国見から返信が来る。

「また岩泉さんの家ですか」

「ほっとかれて寂しいんでしょう」

「構って下さいってお願いしたらどうですか」

 続けざまに三つの吹き出しが出て、絵文字も顔文字も無い簡素な文面が並ぶ。国見らしいと思った。

「国見になんて言ってんだよ」

「え、返事来た?」

 及川に質問しておいて、岩泉は答えを聞かずに二人のメッセージのやりとりを今日の始めまで遡る。

「国見ちゃん、及川さん暇になっちゃった」

 きっかけは及川で、午後の四時半、ついさっきの時間になっている。岩泉が雑誌に集中し始めたから、国見に連絡を取ったのだろう。

「おれんち来ますか」

 国見の返事はすぐだった。

「ううん、国見ちゃんが来て」

「めんどくさいです」

「すぐめんどくさがる~」

「及川さん家行ったら金田一が羨ましがります」

「じゃあ金田一も呼べばいいじゃん!」

「あ、でも今おれんち来ても俺いないけどね!」

  そうしてさっきのやりとりに繋がっている。レギュラーである国見や金田一と話すことは岩泉にもよくあることだ。特に二人は同じ中学出身で、だから岩泉も気 にかけている。でも、こんなどうでもいいことで二つも年下の後輩と連絡を取ったりはしない。及川もそうだと勝手に思っていた。

「へへ、国見ちゃんにバレちゃってる」

 岩泉の持つスマートフォンを横から覗きながら、及川は楽しそうに笑う。

「岩ちゃん、適当に返事して切り上げといて」

  そう言うと及川はころんと後ろに転がり、床に寝転んでクッションを放り投げて遊び出す。岩泉は手の中のスマートフォンを見つめながらどう返事をしたものか 思案した。及川のフリをして返事をすればいいのだろうが、岩泉はバレー以外の及川徹がイマイチよくわからなくなっていた。

「テキトーでいいよ、テキトーで!」

 及川はクッションを高く放り投げてキャッチしながらそう声をかける。テキトーなんて言われても余計わからなくなる。岩泉はしばし逡巡して、そうしても文字を打ち込んだ。

「岩泉だ。及川が迷惑かけた。今から構うからもういいぞ。ありがとな」

 メッセージアプリの乗っ取り詐欺も問題になっている昨今、正直に打ち明けるのが一番だと岩泉は一人頷いた。

「仲良しですね。楽しんで下さい」

 すぐに簡素な返事が来たのを確認して、岩泉はアプリを閉じた。

「岩ちゃんは後輩とメールする?」

 スマートフォンを置いた岩泉を見て、及川が尋ねる。クッションは一際高く投げられ、少しずれたところへ落下する。及川はごろんと素早く寝返りを打って器用にキャッチした。

「あんましねぇな」

「筆不精だもんね」

「おまえかバレー部の連絡網ばっかだわ」

「俺も岩ちゃんばっかだよ」

「国見としてたじゃねぇか」

「岩ちゃんがほったらかすから~」

  ほったらかしにしたら一緒にいる時でもふらふらとどっかに行ってしまうというのだろうか。そんなの我慢しろよ、と言いかけて、岩泉は口をつぐむ。及川は付 き合っているわけでもない、ただの友人だ。こんなことを言うのはおかしい。岩泉は自然消滅した昔の恋人関係を思い出す。あの時はこんな話したこともなかっ た。俺は及川のことを何も知らないまま及川と付き合っていた。うまくいくはずがなかった。

「ねぇ、俺のスマホ見ていいよ」

「なんで」

「別に」

 及川はなんでもなさそうにそう言って、またクッションを放り投げる。なんとなく気になって、岩泉は及川のスマートフォンをまた開いた。画像フォルダを開くと、一番初めに岩泉が机に突っ伏して寝ている写真があった。

「及川テメェ」

 岩泉が足で無防備な及川の横っ腹を蹴ると、及川は大げさに痛がって、クッションは及川の頭の上に落ちた。

「四限の後寝てたでしょ~」

 蹴られたのに嬉しそうな及川は、へらへらと笑って起き上がる。岩泉が画像フォルダをもう一度じっくり見ると、中身はほとんど岩泉ばかりで、たまにバレー部の皆やクラスの友達が写っていた。元彼女と思しき女の写真は無かった。もう消したのだろうか。

「俺ばっか」

「いつも一緒にいるしね」

 及川はまたクッションを抱きかかえて座ると、岩泉にぐっと体を寄せて、

「一緒に写真とろ」

 と言って岩泉の手からスマートフォンを奪う。

「ハイ、チーズ」

 インカメラには、仏頂面の岩泉と、嬉しそうに緩んだ顔をした及川が写っていた。

「岩ちゃんに送るね。ロック画面に使ってね、俺もこれロック画面にするから」

  雑誌の横に放り出されていた岩泉のスマートフォンが、低いバイブ音を響かせて、及川から連絡が来たことを告げる。岩泉はなんとはなしにその画像を開いて、 ロック画面に設定した。特別な理由はなかった。及川は満足そうな顔で岩泉を見ていた。そのしたり顔が気に食わなくて、岩泉はクッションを投げつけた。

 

 

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