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FHQ設定ですが公式の夫婦喧嘩みたいな設定が出る前に書いたものなので幸せじゃないです。

 

 

 

 どこにでも行けるということは、つまりどこにも行けないということに近いのかもしれない。小さいころは色々な制約があって、その小さな檻から逃れたくて必死に生きてきたのに、結局今、大人になった自分たちには、子どもの頃よりもずっと、自由などないのだった。

 

『街の外には魔物がいて、人間を取って食うから、あの森より先に行ってはいけないよ。暗くなる前に必ず帰って来なさいね』

 母も父も、街の大人たちも皆口をそろえてそう言った。だからどれだけあの森の向こうの世界が見たいと思っても、岩泉はいつも森の入り口までしか行くことが出来なかった。そして暗くなる前に街へと戻っていく。夕焼けが辺りを薄暗く照らして、名も知らない緑の草も赤く染まる頃、森の向こうの東の空はとても魅惑的な色に輝いて岩泉を誘っていた。濃色の黒い空には白や赤に輝く星々が散りばめられ、まだ赤い夕焼けとの境界線は震えるほど不気味な色でもって幼い岩泉の足をその場に縫い付けた。

 そして世界で一番大好きな友人は、昼間と姿を変えつつある暗く恐ろしい森の中に佇んで、街へと帰って行く岩泉の姿が暗闇に溶けて見えなくなるまでずっと見送った。岩泉が道の途中で時折振り返って見ると、友人の姿は黒い影となり、その中で赤い二つの瞳だけがギラギラと輝いていた。人間と同じ形をした友人の頭には、人間が持つはずもない小さな角があり、その太ももの辺りには長い尻尾がゆらゆらと揺れていた。今は折りたたまれて背後に隠れている彼の背丈ほどの大きな翼も、彼を異形たらしめる理由であり、岩泉の最も好きな部分だった。時々名残惜しげに振り返る岩泉に、人型の魔物の友人は小さく手を振って答えた。明日もまた会おうと約束して、それでも離れるのが寂しいほどに、二人の魂はぴったりと合わさって離れなかった。

 魔族と人間が関わってはいけないことを、二人は幼いながらに誰に言われずともわかっていたが、あの日離れ離れになる日までとうとうそれを口に出すことはなかった。そして二人は、大きくなってもずっとお互いがお互いを最も大切な友人と思い続けてしまい、その小さな間違いが今、大きな大きな障害となって二人の前に立ちふさがっているのであった。

 

 強大な魔力を持つ及川徹は、魔族の長である大魔王として、衰退しつつある魔族たちを守り、力を強めつつある人間たちに対抗しなくてはならなかった。岩泉一は大陸の東側の肥沃な土地を我が物とする魔族たちを滅ぼすために、国王から大魔王討伐を命じられた騎士であった。強くなって森の向こうへ行けるようになれば、もっと自由に友人に会えると無邪気に願っていた少年は、その身に王と人々の期待を背負い、大魔王となった友人を殺さなければならなくなった。引き裂かれた少年たちの無邪気な願いの通り、運命は二人をもう一度引きあわせた。その糸でがんじがらめにして。

 

 

 

「俺が恐い?岩ちゃん」

 及川の形のいい唇が弧を描いて、大きなアーモンド型の瞳が細められた。そうして笑う顔は、岩泉の知っている及川徹ではなかった。

 及川の笑顔は、その整った顔が崩れてしまうような、もっとなりふり構わないものだった。その笑顔は、人形みたいな彼の顔に感情が浮かぶ瞬間のように思えて、岩泉は及川を笑顔にしたくて躍起になったのを思い出した。太陽の下、美しい顔が年相応に崩れる瞬間。大きく開いた口の中に行儀よく並んだ白い歯と、そこに鎮座する肉厚な赤い舌のコントラストが綺麗だった。強い光を帯びた赤い瞳が閉じられて目尻に皺が出来ると、及川の顔は途端に優しげで幼く見えるのだった。岩泉はそんな及川の笑顔が好きだった。

 可哀想に、及川は岩泉が去ってから、よほどつらい思いをしたのだろう。寂しかったのかもしれない。昔のような無邪気な愛らしい笑顔を忘れてしまうほどに。唯一の友人である岩泉にすら、試すような言葉をかけるほどに。

「お前なんか怖くねぇよ」

 岩泉は吐き捨てるようにそう言うと、身の丈ほどもある大剣を構える。

「お前は俺が殺してやる。そしたらもう、大魔王なんてやめろ。俺が一緒にいてやるから」

 暗い、陽の光の届かない魔窟で、及川は眩しそうに目を細めて、それから小さな声で「痛くしないでね、はじめちゃん」と昔の友の名を呼んだ。

 岩泉にしか届かなかったその願いの通り、及川は痛みをほとんど感じることなく赤く輝く瞳を閉じた。及川の体温は岩泉の腕の中でどんどんと薄れていき、岩泉の熱さを奪っていくかのようだった。岩泉は及川が好きで、この旅路は唯々彼を救うためのものだったが、本当に彼を救う唯一の方法がこれだったのかは、もうわからなかった。ただ、昔一緒に森の中で遊んでいた頃のことだけが思い出された。

 及川は魔族の王子で、岩泉は大陸一大きな国の王直属の騎士だった。けれどそんなことは、二人の間に何の影も落とさなかった。ずっと一緒にいるものだと思っていた。及川の尖った角も、悪魔のような黒い尻尾も、岩泉にはおもちゃのようなものだったし、及川はそうして岩泉に魔族の体を触られることを喜んだ。二人は違う種族の生き物同士が、争わずに生きられないとは思わなかった。運命は二人の少年を飲み込んで、そして永遠に引き離した。

 

 

 

                                                    悪魔の取り分

 

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